【JCA指導者インタビュー②】 「主導権は子どもたち、コーチの役割は見守ること」 元NBA富樫勇樹を育てた父の教え

新潟県の公立中学である本丸中学バスケットボール部を、かつて2度の全国制覇へと導いたのが、現在は開志国際高校で総監督を務める富樫英樹氏だ。以前はスパルタ指導を行っていた富樫監督は、15年ほど前にスタイルを大きく転換して常勝チームを作り上げた。2014年にダラス・マーベリックスと契約し、日本人で二人目のNBA選手となった富樫勇樹(現千葉ジェッツ)の父でもある、同監督の指導方針についてうかがった。

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富樫英樹 とがし・ひでき
日本体育大学卒。新潟県新発田市立本丸中を全国大会常連の強豪校へと押し上げ、2度の日本一へと導いた。2014年からは開志国際高校バスケットボール部の総監督を務める。元U-16日本代表ヘッドコーチ。息子は元NBAの富樫勇樹選手。


強制か自主的かによって、まったく異なるパフォーマンス。

--富樫監督はかつてスパルタ指導を行っていた時代に、チームを全国大会へと導き結果を出されています。あえて、学生の自主性を促す指導へとスタイルを変えた理由と、その結果、子どもたちのプレーにどのような影響が出たのかについて、教えてください。

富樫監督:私は中高ともに強豪校出身ではなく、日体大でも3軍だったため、本当に実力のある指導者に巡り会っていませんでした。しかし、バスケットボールの勉強は自分なりにしてきたつもりで、自己流の指導で子どもたちに厳しく接していました。

「俺の言う通りにやれ」というやり方を半強制的に十数年続けて、結果的には全国でベスト8や3位に入るなど、まずまずの成果が出ていました。アンダーカテゴリーで日本代表のコーチもしていたので、指導者として実力があると勘違いしていたのです。

 ある時、3年ぐらい勝てない時期が続き、何か違うのではないかと自分自身の指導を振り返ってみました。バスケットボールの知識や指導法についてはいろんな人から学び、多くの引き出しを持っていました。しかしある時、それだけではダメで、選手がやらされているうちは勝てない、と気づいたのです。選手たちの自分で決めて考える力を養う。そうしないといいチームになりません。つまり、主導権を自分から子どもに移す。そんなイメージで指導方法をすべて変えました。

 選手が自分たちで目標を立てるようにして、練習時間は1時間半から長くても2時間へと短くしました。言いたいことはたくさんありましたが、指摘するのを我慢して、子どもたちが自主的に考えて行動するようにしました。それ以来、中学ではずっと勝ち続けることができました。

 自主的に行動して何が変わるのかというと、子どもたちに豊かな発想力が出てくるのです。見ている人たちにも子どもたちの"伸び伸び感"が伝わります。私はスポーツは最後は根性だと思っていますが、子どもの発想というものには指導者の想像を超えた計り知れない何かがあります。やらせるのではなく、いかにチームを見守ることができるかが重要です。

■息子、富樫勇樹への教育方針

--富樫勇樹選手は、富樫監督の本丸中学時代の教え子でもあります。父として、バスケットボールのコーチとして、どのような指導をしてきたのでしょうか。

 勇樹はおしめを付けている時から、バスケットボールを持っていました。おもちゃのゴールに向かってシュートを打つのを見て、もしかしたら才能があるのではないかと思いました。小学校に入るとアニメや漫画ではなく、バスケットボールのビデオをずっと見るようになっていました。プレーもセンスがあってうまいと感じましたし、きっといい選手になるだろうと思うようになりました。

 小4の時、ミニバスケットボールの試合をたまたま見に行ったら、本当に驚きました。レベルの高い6年生の相手を、一人でみんな手玉に取っていたのです。田臥勇太選手を初めて見た時と同じような衝撃を受けました。本丸中学に入部すると、当然最初からスターターとして起用しました。私の話なんか聞かずにすべて自分の判断でチームを操り、全国で3位になりました。

 実は、息子が本丸中に入学したのは、たまたま私が指導方針を変えた翌年のことでした。子どもたちの変化を感じ始めていた時に、自分の子どもも同じ年齢になってきた。もし、この時に私が旧来型のスパルタ指導をしていたら、勇樹はきっと反発していたと思います。指導者からやれと言われてやるだけでは、自由な発想力が出てきません。息子の成長を振り返っても本当にそう思います。

 アメリカに行くと決めたのは最終的には本人です。知人もいない、英語もしゃべれない中、中学3年生で一人でアメリカ行くこと自体が大変でした。しかし、彼には自由な発想と柔軟な対応力が備わっていたので、レベルの高いアメリカのバスケットボールの中でも、160センチ台の身長で戦うことができたのです。

 世界のバスケットボールは常に進化していて、センターポジションの選手が3点シュートを打つのも当たり前になっています。日本の指導者は従来の古い考えにとらわれることなく、子どもたちに自由な発想でプレーさせてあげることが必要です。そうすれば世界との差も埋まっていくと思います。