「ブレーキかけてあげる存在になりたい」 元五輪選手が、トレーナーの道を選んだ理由(後編)

 3大会連続でのオリンピック出場を逃した柏木久美子は、アルペンスキー選手として現役引退を決意した。第二の人生として選んだトレーナーの道。「自分と同じような選手を生み出しちゃいけない」。そんな信念を持って、けがの治療のサポートや、リハビリなどを担当するアスレチックトレーナー業に挑戦した。

不安定な生活やけがに苦しむ数多くの選手たちと接する中で、様々な問題に直面した。悩み抜いた末に彼女がたどり着いた答えが、アスリートたちを尊重して、トレーナとして寄り添うこと。そして、彼らに目先の目的ではなく、常に本当のゴールをイメージさせることだ。

▽トレーナーとして再びスキー界へ

2006年に競技を引退し、半年間のリハビリ生活を送っていた柏木は、トレーナーになるために翌春から専門学校に入学して勉強を始めた。ハードな日々だったが、この生活を苦に感じたことはなかった。

「今までの生活でほとんど勉強したことがありませんでした。まずはペンを買うところからスタート。夜の6時から9時まで学校に行って、10時に家に帰ってきて翌朝の3時まで勉強。そして、朝の8時から5時まで整形外科でアルバイトをして、また学校に向かうという生活サイクルでした。

スタートが遅い分、人より努力しなきゃという気持ちでした。スキー選手としての私はトリノで死んだので、小学生の頃に戻った感じ。授業が分かるようになると、勉強がどんどんおもしろくなっていきました。性格上、テストは100点じゃないと気が済みませんでした(笑)」

 一年後、努力を重ねた彼女の成績はクラスでトップになっていた。さらに、受験した国家資格は学校で一番の成績でクリア。一人前のトレーナーになるための階段を着実に上っていた。

専門学校を卒業後は治療院で働いた。2010年にモーグル日本代表チームからのオファーを得た。

「年間250日以上、モーグルチームに同行していました。給与は日当1万円くらいで保険もありません。貯金を切り崩しながら生活していくしかありませんでした」

 そんな柏木に声をかけたのが、男子アルペンスキーの第一人者で幼なじみでもある皆川賢太郎さんだった。 

「賢太郎さんが紹介してくださったのが、株式会社ドームが運営するドームアスリートハウス(DAH)でした。ドームの中村昌弘常務(現専務)が『トレーナーの生活が安定していなかったら、不安が選手に伝わるし、いいサポートができない。うちで面倒見るから、思い切りやってきなさい』と言ってくださりました。おかげで、安心してチームに同行できました。とても感謝しています」

▽アスリートと一緒に悩み、正解のない答えを探す

2014年のソチ五輪。彼女はモーグルチームのトレーナーとして、大きな葛藤を経験することになる。直前のW杯で優勝するなど、メダル候補として期待されていた日本代表の伊藤みき選手が、右ひざの前十字靭帯損傷という重傷を負ったのだ。本番までわずか3カ月の出来事だった。

けがを押して五輪に出場するべきか、関係者の間でも意見はさまざまだった。柏木は、伊藤選手の将来を考えると、無理はしない方がいいと助言した。一方で、オリンピックのために4年間をかけてきた伊藤選手の気持ちも痛いほど理解できる。関係者による議論のもと、最終的に出場を決めた伊藤選手の意思を尊重し、トレーナーとしてサポートに回った。しかし、結果は本番直前の公式練習でのけがにより、無念の棄権となった。

「みきちゃんの件は、今でもずっと自分の中で引っかかっています。最終的に彼女は自分で出場を決断しましたが、周囲のプレッシャーもありました。純粋なアスリートとしての意思以外の部分で、重荷を背負っていました。一緒に悩みましたが、トレーナーとして彼女のためにもっと何かできたのではないか。身体を押さえつけてでも行かせなければよかったのではないか。正解はありませんが、未だに当時のことを考えます」

柏木の存在と、当時のやり取りについて伊藤選手はこう振り返る。

「久美さんはトレーナーとしての意見とともに、けがと戦いながら滑ってきた元選手としての経験をアドバイスしてくださりましたが、決して価値観を押し付けはしませんでした。いつでも私の意思や感覚を尊重してくれて、選手を信じてくれました。苦しい時にずっと寄り添ってくれた、心の支えになってくれた人です。本当に感謝していますし、あの時の決断を私は後悔していません。苦しみながら経験したことは、今では自分の宝物になっています」

▽良い加減にいい加減

「自分のようにはなってほしくない」。目標を見失い、けがで苦しんだ自身の現役時代の反省から、彼女はトレーナーとして選手との関わり方には人一倍気をつけている。

「女子選手で体重を気にする子は多いです。特にまじめな選手に限って、太ったり体脂肪率が増えたりすることに罪悪感を覚えてしまいます。私は食事制限などを指示することは滅多にありません。女子選手はコーチやトレーナーなど指導者の言葉に依存しやすいです。何気ない一言が、選手の人生そのものを狂わせてしまう可能性もあります」

 柏木は、なぜトレーニングをするのか、リハビリをするのか、選手たちにその意味を理解させることに重点を置いている。

「けがをしている子たちには、焦らずやろうと言います。無理をしたら私みたいになっちゃうよと。最近は測定したデータや数値が重視されますが、それ自体が目的ではありません。目の前の練習のためではなく、自分がどうなりたいのか考えよう。努力しているけれども、けがで苦しんだり、うまくいかなかったり。そういう子たちの心の支えになりたいと思っています。いつもみんなには、『良い加減にいい加減になりなさい』とアドバイスします。川で溺れた時に、流れに逆らってジタバタしても体力を消耗してしまうだけです。流れに身を任せて、じっと我慢する期間も必要なのです」

引退後に受けた骨切り術の影響で、左右の足の長さが変わった。普通に生活している中でも、たまにつまずいてしまうことがある。競技人生の代償とも言える後遺症だが、彼女はとてもポジティブにとらえている。

「トレーナーは職業柄、弱みを見せた方がいいと思っているのです。完璧な人だと近寄り難いですし、こちらが弱みをさらけ出すことで、アスリートも心を開いてしゃべってくれることもあります。たくさんけがもしたし、オリンピックでも挫折したので、同じような境遇の選手たちが話を聞きにきてくれます。自分の汚点だと思っていた経験が大きな武器になり、トレーナーのキャリアの中ですごく役立っています。

トレーナーの役割はいろいろありますが、いかに選手に寄り添って、本気でその人の身になって行動できるかだと思います。時には選手の背中を押してあげたり、ブレーキになってあげたり。私はいつも『良い加減にいい加減』と選手に言っていますが、まずは肩の力を抜いて、私自身がそれを実践できるようにがんばってみようと思います」

元トップアスリートとしての自身の経験を生かしながら、トレーナとして格闘する日々。まだ修行中の身だと言う彼女の取り組みは、アスリートにとって大きな力になっているだけでなく、トレーナーという職業の可能性をも広げている。
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(文
:松元竜太郎)